開催にいたるまで
昨年の11月14日に兵庫県尼崎市にて開催した「患者力」シンポジウムの二回目を、7月24日水曜日、午後1時半より大阪・十三の大阪研修センターで行いました。
前回は「地域医療」をテーマにしましたが、今回のテーマは「救急医療」です。
昨年シンポジウムを開催した後、準備や後処理などに疲れ、しばらくボランティア活動はゆっくりいこうかなと思っていた矢先、
吉本興業のタレントの亀山房代さんが42歳の若さで亡くなるという悲しいニュースに接しました。
死因は「心室細動」ということでした。
訃報が報じられた翌日、生放送のラジオ番組で、パーソナリティの三代澤康司さんと、亀山さんの話をしました。
三代澤さんは公私ともに親交が深く、亀山さんが亡くなられる直前に病室にお見舞いに行かれた話を、聞かせてくださいました。
私自身も、新人アナウンサーの頃より、「ワイドABCDE〜す」という番組で共演させていただいたりと非常にお世話になり、
喋り手の先輩としても同じ女性としても非常に尊敬をしている方でした。
また、同じころに妊娠をし、出産を経験していることもあり、時に母親同士いろんな話に花を咲かせました。
いつも周囲を明るくし、体全体で大切なことを伝え続けている人でした。
亀山さんの死を、私もちゃんと受け止めて伝えなくては・・・強く、そう感じました。
また、亀山さんの命を懸命に救おうとした、亀山さんの夫であり気鋭のフォトジャーナリストである今枝弘一さんの姿勢にまさに学ぶべき「力」を感じ、
「患者力」のテーマにしようと思い立ちました。
亀山さんの娘さんが大好きだという亀山さんの写真を使って、大きな告知用のポスターを作成しました。
できるだけ多くの場にポスターを掲示して、
シンポジウムに足を運べない方にも、ポスターの前で立ち止まって、亀山さんが遺したメッセージに思いを寄せていただこうと思いました。
ポスターの作成には、西日本出版社、鷺草デザイン事務所に多大なるご協力とご協賛をいただき、
ポスターの掲示には阪急電鉄株式会社を始めとして、各地の書店、オカンの会の会員さんたちのご協力をいただきました。
また、大阪府、大阪市、財団法人大阪21世紀協会にご後援をいただきました。
7月24日当日。多くのボランティアの皆さんに支えられて。
医療を支える関西オカンの会の会員の中から、今回も20名近くの方が、ボランティアスタッフとしてシンポジウムの運営を手伝って下さいました。猛暑にも関わらず、十三駅から会場までの道沿いに、案内看板を持って来場者に向けて案内をしてくださった方。
小さな会場に200名もの来場者が一気に訪れるということで、昼食を食べる暇もなく受付業務と来場者に手渡しをするリーフレットの製本業務に従事して下さった方。
会場の運営と進行を、日頃より培っているプロフェッショナルな技術を活かしてお手伝いいただいた元「ムーブ!」スタッフの方。
それぞれの持ち場で素晴らしく立ち回りながら、役割を果たして下さいました。
出演者の応対や進行の準備に追われながらも、ボランティアの皆さんの機敏な行動と温かな思いに対する感謝の気持ちで胸がいっぱいになっていました。
来場者からの感想の多くに、ボランティアスタッフの対応に対する賞賛の言葉がありました。
本当に有難うございました。
シンポジウム第一部「定点観測」
今回のシンポジウムの前半のテーマは「定点観測」
前回のシンポジウムに参加して下さったパネリストの三名の方々に出演をお願いしたところ、それぞれに大変な御多忙にも関わらず、お越しくださることになりました。
せっかく同じメンバーで議論するのだから、他のシンポジウムではなかなかしていないことを実現してみたいと思いました。
いろんなシンポジウムの司会やパネリストを務めてまいりましたが、
シンポジウムで意義深い提言がなされるものの、その提言がどう実際の現場でいかされたかという検証をする機会がなかなかありません。
メンバーは入れ替わりますし、組み合わせもまさに一期一会ですから、同じメンバーが顔を合わせることもめったにありません。
ですから、せっかくですので、前回の議論を踏まえて、今回のシンポジウムまでの八か月で何がどう変化し、今は何が問題であるのかをディスカッションすることにしました。
患者力シンポジウムという「定点」から、継続して議論を「観測」するという、斬新な試みでもあります。
一人目のパネリストは、テレビ・ラジオに引っ張りだこの人気コラムニストであり、尼崎の名医・勝谷医師のご長男でもある勝谷誠彦さんです。
登場の際に、お父様と一緒に生まれて初めて海外旅行をした話を披露してくださいました。
地元で、献身的に診療をしている勝谷医師は、盆暮れ正月もなく、365日、地域の患者さんのために尽くしてこられたそうです。
大変尊いことだと感じ入りますが、いわばその犠牲になったのが家族というわけで、勝谷誠彦さんいわく、ゆっくり家族旅行をする時間などほとんどなかったのだそうです。
常に患者第一で自分の時間と命を削りながら働いているお父さんの背中を、今も誇らしく見つめている勝谷さんの気持ちがお話の中に滲み出ていました。
今回は、アジア民主化の激流を取材された戦友のような存在が今枝氏であるということで、超ご多忙にもかかわらず出演を快諾してくださいました。
二人目のパネリストは、民主党参議院議員で医療介護改革チーム事務局長であり、内科医として病院勤務医の経験もある梅村聡さんです。
7月11日に参議院選挙が終わったばかりということで、梅村さんご自身は改選ではないとはいえ、
尾立源幸参議院議員の選挙のお手伝いで多忙を極めておられたとのこと。
尾立氏は当選されましたが、民主党自体は「惨敗」という参議院選挙の厳しい結果に、梅村議員は率直に意見を述べられていました。
勝谷さんから鋭い敗因分析を提示され、虚心坦懐に
「確かに、民主党にはアピール力というか、国民の皆様に説明する力、伝える力が不足しているのではないかと思います。
参院選の結果を重く受け止め、反省をしなくてはならないと痛感しています」
と、まずは「定点観測」謝罪編から始まりました。
三人目のパネリストは、救急医でもあり小児科医でもある、奈良県立医科大学救急医学教室准教授の西尾健治さんです。

前回、シンポジウムでの激しいディスカッションが初体験だった西尾先生は、僕のような口下手な人間ではお役に立てる自信がないと出演を固辞されていました。
しかし、「今回のテーマが救急医療ですので、西尾先生には是非ともお越しいただきたいのです」と熱心に口説きました。
そして、何とか出演を承諾してくださいました。
ご本人の心配は嘘のよう。
今回は前回よりもさらに、トークに磨きがかかっていました。
百戦錬磨の勝谷さんに負けず劣らずの弁舌ぶりに、司会として加わらせていただいた私もびっくり仰天でした。
西尾医師は、つい昨日の夜勤で、熱中症で運ばれてきた40代の女性の患者さんを看取られたという衝撃的な話をしてくださいました。
猛暑続きのために、熱中症で救急病院に運ばれてくるケースが本当に多いのだそうです。
命を落とす方も後を絶たないのだとか・・・。
多いのが室内で起きる熱中症です。
冷房がない場合、室内は外気よりも湿度が高くなってしまうため、高温多湿となり、熱中症のリスクが高まってしまうそうです。
窓をあけて扇風機をかけるとか、なんとかして空気を回し湿度を下げる必要があるそうです。
そして、水分と塩分の補給は忘れないことが大切とのこと。
また、熱中症の症状の一つに意識障害があるそうで、喋る言葉がなんとなくおかしいとか、ボーっとしているとか、変な運転をしているなどの兆候でもわかるそうです。
来場者の方々は集中して耳を傾けていました。
「定点観測」〜政権交代で医療はどうなる〜
いよいよ定点観測の議論に入ります。一つ目のテーマは「政権交代で医療はどうなる」です。
前回のシンポジウムは、自民党から民主党への歴史的な政権交代が行われた後まもなくの開催でしたので、まだまだ熱気冷めやらぬ時期でもありました。
ただ、すでに民主党へのメディアバッシングも激しく、
前回シンポジウムで勝谷さんの
「なんでもかんでも叩けばいいってもんじゃない。
ちゃんとした見極めをするには、もう少し時間がかかる。
せめて、来年の通常国会が終わり、参院選が終わるころにバカかどうかを判断すればいい。」
という発言があったので、
それを踏まえて、現在の「判断」について勝谷さんに直撃しました。
勝谷さんは、
「民主党は自分で自分の首を絞めている。
説明が稚拙すぎて、皆がいろんな方向に向いている感じ。
船頭が誰なのかもわからない。
志のある議員もいるのだろうが、全体的な閉そく感に埋もれている。
管総理の消費税増税の議論の持ちかけ方の稚拙さが象徴的だ。」
という厳しい意見を述べられました。
梅村議員の話では、平成22年度予算で医療費に4800億円が加算され、そのうち4400億円が急性期医療に投じられたということなのですが、
実際に救急医療の現場で働いている西尾医師は「え?本当ですか。僕は全然知りませんでした」と驚いていました。
勝谷さんは「民主党は広報が下手なんだよな」とチクリ。
3人の息の合った掛け合いに、会場は笑いに包まれていました。
モニターで、民主党が昨年の総選挙で掲げたマニフェストの中で実行できたこととして本年度の参院選のマニフェストに書かれていたことが
「360人の医学部定員増」ということだけだったことを指摘すると、
西尾医師は
「いや、これはすごいことです。
1年で360人増やすということは、教員も増員しなくてはいけませんし、大変なことです」
と評価していました。
梅村議員は日本政府は長い間
「医学部の定員は増やしてはならない」
「医学部新設は行わない」
という田中角栄の時代に官僚が作った大臣告示に縛られていたことを明かし、明治以来の官僚支配体制との闘いは容易ではないことを切々と語りました。
医師が増えれば、果たして医療崩壊は防げるのかという問いかけに対しては、
梅村議員は臨床の場の医師の配置についての全国的なデータがなく、まずは実態把握に取り掛からなくては適正配置問題に対して手の打ちようがないとし、
速やかに調査をしたうえで、全国データを9月に報告できるように進めていることを明らかにしました。
「定点観測」〜医療崩壊は防げるのか〜
二つ目の定点観測のテーマは「医療崩壊は防げるのか」でした。
過労からうつ病を発症し、1999年に勤務先の病院から飛び降り自殺をした小児科医の中原利郎氏の死について取り上げました。
中原医師のご遺族を中心として結成された「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」は、労災として勤務先の病院の責任を問う民事訴訟を起こし、
7月8日に最高裁で異例の和解勧告が言い渡されました。
最高裁は「医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが、国民の健康を守るために不可欠」だとして、
病院側から中原氏のご遺族側に700万円を支払う形での和解を勧告し、病院側は中原医師の死に対して深く哀悼の意を示し、和解金を支払うことになりました。
勝谷さんは、この最高裁の踏み込んだ対応を評価し、
長妻厚生労働大臣も「2度と同じような悲劇を起こさないように、一緒に知恵を出し合い闘いましょう」といった国民に向けた声明を発表するべきだったと指摘。
政府の対応があまりにも無反応だったために、メディアでもほとんど取り上げられることなく、大切な提言がきちんと活かされていない歯がゆさを感じたと述べました。
梅村議員も勝谷さんに同意して、立法府と行政府の責任が問われた医師の当直問題には、政権与党として答えを出さなくてはならないと語りました。
ちなみに、梅村議員は国会の場で初めて、医師の当直問題を取り上げ、当時の舛添厚生労働大臣に鋭く質問をしています。
医師の当直問題に関しては、前回のシンポジウムでも取り上げられましたが、現場ではなかなか改善が進んではいないようです。
診療報酬の改定などで病院の経営の問題を改善していくことで、勤務医の過重労働の問題に手を打てたらという思いはあるようですが、
こちらも実際に現場で勤務医として働いている西尾医師の実感とは程遠いようでした。
また、同じ小児科医の道を選んだ中原医師の娘さんの
「医師は人の命に直接携わる職業であり、一瞬一瞬に大きな責任を伴います。
患者第一で第一線で働く医師が現実に絶望して医療界を退かざるをえないような社会は変わってもらわないと困ります。」
という言葉に対し、
小児科医でもある西尾医師は
「まさにそうだと思います。
このまま社会が変わらないでいると困るのは患者さん自身だと思います。
医療者が心身共に健康でないと、患者さんと向き合うのはきついです。
どうか、患者さんの側からも、医療者を支えてあげてください。
感謝の言葉一言でいいんです。
それで本当に、随分気持ちが救われるんです。」
と医療を育て支える患者力の向上を訴えていました。
「定点観測」〜メディアの功罪と行政の無責任〜
そして、三つ目のテーマは前回議論が沸騰した「メディアの功罪と行政の無責任」です。
医療問題について真摯に報じるメディアが増えてきたと感じる一方で、この報道には驚いたとして紹介したのが、「夕張医療センターの救急拒否報道」でした。
北海道の夕張といえば、2007年財政再建団体に指定され、事実上経営破たんした自治体です。
夕張市の財政難に伴い、夕張市立総合病院は公設民営化され、村上智彦医師が理事長である夕張希望の杜が指定管理者となって、
「夕張医療センター」として現在は運営管理されています。
この夕張医療センターが、自殺を図り心肺停止状態に陥った男性の救急搬送を断ったことが、厳しい論調で報じられたことで、物議を醸しました。
6月2日付け、北海道新聞の第一報では「救急医療、また拒否」という見出しで、夕張市長が「今回のケースは誠に遺憾」と述べたと書かれていました。
それに対して村上医師は、ネット上で反論を展開し、
常勤医が一人になった今年4月からは従来通りの救急搬送受け入れは難しいということ、
心肺停止状態への対応はスタッフや設備の整った専門施設で行うべきであり、夕張の近隣には該当施設が数多く点在すること、
記事にするにあたっての取材を一切うけていないこと
などを明らかにした。
(現在は沈静化しているようであり、行政サイドと村上医師の側は直接会って話をして、誤解を解くシーンもあったようである)
一方だけを取材して、思い込みで記事を書くと言うことに対する批判は、前回のシンポジウムで奈良の大淀病院のたらい回し事件を例に挙げて取り上げていました。
今回の件は、夕張の救世主と全国的に報じられることが多い村上医師がバッシングを受けた側の当事者であるだけに、
地元のメディアが取材も不十分な状態で記事を書いていることに強い違和感を感じました。
ここからは、延々と勝谷さんの「大マスコミ」バッシングの独壇場になりましたが、
前回同様、とてもじゃありませんが差し障りがありすぎて再生不可能ということで割愛させていただきます。
梅村議員は「メディアや患者は何科の医師にもオールマイティを求めすぎるところがあります」と訴え、
「行政は医療機関の棲み分けや機能分担を進めるべきだ」と述べて、政権を担当する自らの党へ持ち帰る宿題を背負った形になりました。
バッシングで医療を疲弊させるのではなく、建設的な議論に導くメディアの姿勢が求められていると、勝谷さんは熱弁をふるっていました。
勝谷さん、梅村議員、西尾医師のお三方のコンビネーションが絶妙で、前回を上回るような丁々発止の議論が繰り広げられていて、
思わず司会の仕事も忘れて聞き入ってしまうほどでした。
来場者の方々も、熱心に耳を傾けてくださいました。
休憩中のアンケートにも、非常に熱意を持って回答していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
質疑応答の時間が取れなかったので、皆様に頂いたご質問は、次回への宿題とさせていただきます。
本当に有難うございました。
シンポジウム第二部「救急医療」
休憩をはさんで、第二部は、救急車が到着するまでの全国平均7分間の間に私たちに出来ることは何かを問いかける
「救急医療〜大切な人を救うために問われる力とは」をテーマに展開しました。
まずは、亀山房代さんの夫であり、写真界の直木賞とも言われている土門拳賞を受賞されたフォトジャーナリストの今枝弘一さんに、
亀山さんが救急搬送された時のことを語っていただく基調講演から始まりました。
亀山さんが心室細動で救急搬送されたのは、昨年11月9日のことでした。
亀山さんが発作を起こしたのは深夜2時ごろのこと。
小学校二年生の娘さんと並んで寝ていた亀山さんの身体が突然跳ね上がったのだそう。
今枝さんは、戦場カメラマンとして、数々の修羅場をくぐってきていらっしゃいます。
目の前で人の死を見たことも、3桁にのぼるそうです。
だから、亀山さんの状態を見た瞬間、「これは心臓だ」と思われたそうです。
できるだけ予後に後遺障害が残らぬようにと、すぐにCPR(心肺蘇生法)を開始しました。
そして、飛び起きていた娘さんに素早く119番通報して救急車を呼ぶ指示を出しました。
今枝さんは、休まずに胸骨圧迫と人工呼吸を続ける必要があったからです。
さらに、必要なのはAED(自動体外式除細動器)だと判断し、出来る限り近くにAEDが配置されていなかったかと頭を巡らせました。
天才カメラマンの今枝さんの頭の中には、まさに近隣のAEDマップがそのまま頭の中に入っていました。
日頃から、ご家族で実際に町を歩きながらどこにAEDがあるのかを確認し、救急時にどのような対処をしたらよいのかを話し合っておられたそうです。
一番近くにあるAEDは、近隣の消防署にあるAEDだと考え、119番通報すれば、速やかにそこからAEDを届けてくれるのではないかと祈るような思いだったそうです。
しかし、飛んでもない障害が立ちふさがりました。
119番通報を受けたオペレーターが、娘さんがきちんと住所を伝えているにもかかわらず、
「子供ではらちが明かないので、大人を電話口に出せ。」
と要望してきたというのです。
一瞬でも脳に血流を送り込む動きを止めたくはない今枝さんでしたが、オペレーターがまったく取り合ってくれないため、
苦渋の思いで亀山さんの体から離れ、電話口に立ちました。
しかしながら、住所を言っても、周囲の目印を伝えても、
「場所がわかりません。」という素っ気ない返事。
非常にも、時間だけは刻々と過ぎていく。
一刻も早く心肺蘇生に戻りたい今枝さんにとっては悠久の時間に感じられたことだろう。
今枝さんの話を聞きながら、いまだに冷めやらぬ怒りとやりきれなさを感じた。
結局、救急車が到着したのは、通報から30分が経過した後でした。
亀山さんは、意識不明の状態で搬送され、結局意識が戻ることのないまま、2週間後に病院でなくなりました。
享年42歳。
あまりにも多くの人に惜しまれた死であり、ご家族にとってはかけがえのない大切な大切な「お母ちゃん」が失われた、筆舌に尽くしがたい悲しみでありました。
救急車が到着してから、今枝さん達ご家族が接した救急隊員や医療者達は、実にプロフェッショナルな振る舞いだったそうです。
そのことに関しては、今でも今枝さんや娘さんは感謝しているとのことで、消防署を通りかかる際には必ず娘さんは敬礼するのだそう。
今枝さんは、地元の消防署が主催するAED講習会でご自身の経験を話されたり、娘さんとともに積極的に救命救急の研修を受けたりと、
亀山さんの死の意味と向き合っておられます。
社会に何が必要なのか、何が変わらなくてはならないのかを、ご自身が体感されたからこそ、説得力を持って語られています。
今枝さんは訴えます。
AEDの講習会を地域単位で積極的に開くべきだと。
AEDが実際に使われる場面を考えると、近隣の人達が助け合いの精神を持つことが肝要であることがわかります。
近所のスーパーにちょっと買い物に出た時の道端で発作が起きた場合、助けてくれる可能性のあるのはご近所の方でしょう。
お互い持ちつ持たれつ助け合いの精神を育むことが、自分の家族の命のリスクヘッジにも通じるわけです。
そして、AED講習会を起点として、定期的に地域の人達が集うことになれば、それが地域コミュニティー再生の大きな原動力にもなります。
前向きな、素晴らしい提案だと感動しました。
AEDと心肺蘇生法のシミュレーション
AEDの配置場所は、ここ数年で一気に広がりました。
それでも、なかなか利用率はあがりません。
場所は分かっていても、使い方を知らない人も多いし、心臓の発作を起こした人に電気ショックを与えることに対する恐怖心も根強いようです。
数は増えても、実際の場面で使うことができなければ意味がありません。
私自身、亀山さんが心室細動で亡くなるまで、ちゃんとした救命講習に足を運んだことはありませんでした。
そこで、今年の3月に、大阪市が主催する上級救命講習を受講しました。
合計8時間の講習で、心肺蘇生法やAEDの使い方について、実際にシミュレーションしながら体得していくことが出来ます。
ダミー人形を使って、どのくらいの呼気で空気を吹き込んだらいいのかとか、どのくらいの強さと位置で胸骨圧迫をすればいいのかなどを学ぶことが出来ます。
やけどや骨折、誤飲などの初期救急処置についても教わりました。
最後にはペーパーテストまであり、何点以上でないと不合格というラインまで設けられ、心地よい緊張感も経験できました。
すっかり甘やかし気味の脳みそにプレッシャーをかけられたせいか、今でもしっかりと正答が記憶に残っています。
終了後は、講習終了証明書ももらえ、達成感もありました。
実際に講習を受けてみて感じたことは、1分間に100回のペースで、体が5センチ沈み込むほどの強さで胸骨圧迫を続けることは、大人でも重労働です。
さらに、心肺蘇生法を続けながらAEDを手配し、AEDが到着してからは速やかに装備し、実行し、終わったらただちに心肺蘇生法を再開するなんでことは、訓練を重ねておかないと絶対に無理だと思いました。
だから、出来るだけ多くの人に、実際に講習会に足を運んでもらいたいという、強い願いがありました。
少しでも多くの人に、AEDを使うことの意義と、
実際に電気ショックを与えるかどうかの判断をするのは機械自体であるので、不必要な恐怖心や自責心を抱く必要がないということ、
そして講習会に実際に行ってみることの重要性を伝えるために、
シンポジウムでは実際にどのようにAEDが用いられるのかをシミュレーションしていただくことにしました。
大阪市消防局警防部の角田さん、大塚さんが全面的にご協力くださいました。
↓動画↓
関西オカンCPR講習会
会場にダミー人形を置いて、気道確保や胸骨圧迫の方法、
現物のAEDを使って、音声ガイダンスではどのようなアナウンスが流れるのかをモニタリングしたり、
実際の使用法などのレクチャーをしてくださいました。
来場者は息を殺しながら真剣に聞き入っていました。
AED講習は、救急隊員の方だけができるというわけではありません。
一般市民向けの指導者養成コースもあります。
定年退職後、なにか地域に貢献できるような資格を持ちたいと思われている世代の方に、是非とも指導者のライセンスを取っていただき、
その方が責任者となってマンションや小さな町会単位でAEDを持つようになれば、地域再生は現実のものとなっていくのではないかと思いました。
亀山さんの遺したメッセージは、「地域再生の希望の光」として語り継がれていくことを願いました。
エンディング
シンポジウムのエンディングとして、今枝さんが撮り続けて来られたご家族の肖像写真をベースに
オカンの会のラスカル事務局長が多忙の合間にVTRを作成してくださり、
その映像に乗せて亀山房代さんの娘さんからお預かりしたお手紙を朗読させていただきました。
一枚一枚の写真に焼きついた亀山さんの人懐っこい笑顔と、あどけない娘さんの姿、
そして手紙に刻み込まれた切実な母親への思慕の念に、会場は震えるような涙に包まれました。
【亀山房代さんの最愛の娘さんから、天国の房代さんへの手紙】
運動会のかけっこで、よういどんで 隣の子のひじ、ほっぺに飛んできて、めっちゃ痛かったよ
びりスタートで後ろから一生懸命最後まではしったら、 ママの顔が見えたから、めっちゃ走った。
プーって声、聞こえたから飛んでゴールしたら、二着だった
そしたらママ、「プー、良く頑張ったねとギュッとしてくれた。嬉しかった」
頑張った時は、ママの大きなお尻と私のちいちゃなお尻でハイタッチ。する
そん時がたまんないあったかいママのおしりでした。
「また一生懸命走ったら、房代ママの大きな声〜聞こえてくるよ・・・」とかなんとか
パパはゆうてるけど、
今年の秋、聞こえてくるか、運動会で試してみるよ
もし最後まで頑張って走ったら、
あと一生懸命生きて、勉強して、働いて、人の役に立って、
結婚して、赤ちゃん産んで、最後までちゃんと育てて、
私がおばあちゃんになれたら、
房代ママのお別れ会みたいに、たくさんの人にあんなに褒められて死んだら・・・
そしたらまたきっと、
あっちの天国とかも、もし会ったら、
その時、また頑張ったねって
ママぎゅっとしてくれるかな
天国なんかでは。お尻とお尻ハイタッチなんかまたできるのかな
それまでは頑張る
ママに産んでもらった命、絶対に絶対に絶対に無駄にしません。
約束します。誓います。
私にいろいろしてくれて、一番優しかったプーのママへ
いつまでも大好きだよ、ママ
プーより
亀山さんは、太陽のような女性でした。
ひだまりのような笑顔を浮かべ、周囲を優しく包み込んで下さいました。
時に射抜くような真剣なまなざしで、心のこもったアドバイスをしてくださいました。
失われた命の重さと、今枝さん達ご家族が体験して来られた不条理な現実は、忘れがたい教訓であり、貴重な学びとなって、
会場にいた全ての人の胸に染み込んで行きました。
(文責 関根友実)
<SPECIAL THANKS>
医療を支える関西オカンの会・・・時々、オトン会員のボランティアスタッフの皆様
西日本出版社 大阪市消防局 阪急電鉄株式会社
そして、いつも巻き込んでしまう私の家族、父、母、姉に感謝の気持ちをこめて。